なぜ脱サラしたら幸せになったのか

幸福の定義

みんな幸せになるために努力したり我慢したりしていると思います。

その際、幸せとは何か、と定義をはっきりさせたほうが、
努力の方向を間違えないで済むと僕は思っています。


本当は、幸せになるために頑張っているのに、
気が付いたら会社から評価されるために頑張っていて
その結果、さらに難しい仕事を任されるようになって、
しばらくの間は、そういうことも楽しいけれども、
ふと気が付いたら、これって幸せなのか?

と思うこともありました。

 

お金や名声=幸福 ではない

昭和の時代ならお金や名声=幸福、
と考える人も多かったと思いますが、


さすがに平成も終わる昨今では、
お金、名声≠幸福ではない、
ということに共感してくれる人も多いと思います。

 

幸福=やりたいことがやれている状態?

幸せって、やりたいことがやれている状態で、
不幸は、やりたいことがやれていない状態

という人がいます。
確かに、それはあるなあ、と思います。

皆さんはどう思いますか。

僕は、若干しっくりこない感じています。

 

幸福=自由にコントロールできる時間の量

どんなにお金を持っていて、年収が高かったとしても
自分の自由になる時間が全然ないのあれば、
それは幸せとは言えないし、
自分の自由になる時間が多いほど、
幸福と言える、
そう言っている人がいました。

 

確かに、そうかなあ、とも思います。
出も同時に、この考えは、やっぱり、やりたいことがやれている状態=幸福
と似ているなあ、とも思います。

 

考えていること、感じていることが幸福度を決める

僕は、嫌なことを考えて、
嫌な思いを感じている時間が短いほど、
幸福な状態だと考えています。

 

僕は20年のサラリーマン期間中に
沢山の上司についてきました。

神様のように尊敬できる大好きな上司にもつきました。
理解不能でイライラさせられる上司にもつきました。

 

サラリーマンをしていると
嫌な人とも関わらざるを得ないことがあります。

 

嫌いな人のことは考えないようにしよう、
そう思っても、気が付くと1日の大半を
嫌いな人のことを考えている時期もありました。

そういう対象は大体上司であることが多かったです。


その人が上司である時は、その人のことばかり考えてしまいます。

でも、異動や組織変更で上司が変われば、
前上司のことは全くと言っていいほど考えなくなります。


でも、次の上司がまた変な人なら、やっぱりその人のことを考え続けて
一日中嫌な思いを抱え続けていました。


僕は転職を繰り返してきました。
色々の理由がありましたが、
すべての転職でステップアップをすることが出来ました。

しかし、辞めるきっかけはやはり上司との相性でした。
良い転職話があっても、尊敬できる上司の下で働いている時は
転職しようとは思いませんでした。


どんなに嫌な上司で、思い煩わされた人でも
転職してしまえば、全く関わることはありませんでした。

僕の人生からその人が消えたようなものです。


しかし、サラリーマンを続けている限り、
上司は自分で選ぶことが出来ません。

よい上司にあたることもあれば、
なんなんだこの人、と思う人についたこともありました。


でも最終的に脱サラをしたら、嫌いな上司や、
僕のことを思い煩わす人はいなくなったのです。

 

 脱サラしたら僕のことをイライラさせる人はいなくなったか?

脱サラしたら僕のことをイライラさせる人はいなくなったでしょうか。

まあ、そんな簡単にはいきませんよね。


やはり、人間社会で生きている以上、イライラさせる人はいました。
でも、はっきりとそのことを伝えたり、
言っても分からない人とは連絡を取るのをやめてしまえば、
そういう人たちは次第に僕の人生から消えていきました。

 

家族はイライラの対象にならないのか?

 

家族であってもイライラの対象にはなります。

僕は脱サラをしたら主夫になったので
家族と過ごす時間がとても増えました。


狭い家でずっと一緒にいればイライラすることもあります。

家事の分担や子供の教育方針など
家の中に大人が2人いれば主導権争いも
多少なりとも発生します。


脱サラ当初、妻との間に葛藤が生じたこともありました。


サラリーマン時代に妻との間に葛藤がなかったかと言えば、
もちろんありました。

でも、そこには触れずに過ごしてきました。
僕ら夫婦は結婚して20年、喧嘩らしい喧嘩をしてきませんでした。


でも、僕が脱サラしてからは、
2度、3度、意見をいったことがありました。


それからは妻との間でストレスを感じることはなくなりました。

向かい合って前よりも良い関係を築くことが出来たのです。

 

親戚関係のストレスはどうか

日常的に関係する親戚はいないので問題になりません。

問題があるとすれば実父です。

昨年2018年は父の介護で関わらざるを得なかったのですが
よく喧嘩をしました。


その結果、関係は改善しました。

嫌なものは嫌だと僕が言えるようになったからです。

 

結局、幸せってどういうこと

サラリーマンだった時でも、
関係するすべての人とうまくやっていこうと考えていました。

しかし、いろいろな人がいるもので、
こちらが良かれと思っていろいろとしても
それに応えてくれない人もいました。


すべての人と良好な関係を築くのは無理だというのが今の僕の考えです。


でも、脱サラをして1年間、じっくり時間をかけて
親、家族と向かい合った結果、
家族とは、関係をやり直して良好な関係が築ける
ということを、経験しました。

 

そして、今の僕は、
嫌いな人のことを考える時間や、
嫌な感情にとらわれる時間が、
サラリーマン時代に比べて激減したのです。

嫌な思いや感情にとらわれていないのですよ。

僕はこの状態こそが幸せなんだなあと感じています。

日々楽しく過ごしているのか?

若い頃は、大騒ぎをしたり、ゲラゲラ笑っていることが多かったです。

でも今は、ほとんどそういうことはありません。

淡々としています。


激昂したり、ネガティブな感情に長時間とらわれることはなくなりましたが、
同時に、爆笑したり、ハイテンションな気分を感じることもありません。


もう、大騒ぎするような高揚感は過去40年でさんざん経験したので
もう充分です。

そういう感情を捨ててでも、ネガティブな感情に囚われていない
現在の方が、静かに幸せを感じています。


爺さんみたいでしょうか。