製薬会社工場の思い出

1996年卒ですが、公務員試験を受けていてまともに就職活動をしなかった結果、

僕は全く想定していなかった製薬会社に就職しました。


町工場のような小さな会社でした。


今思うと良い経験をさせていただきました。


都内の本社ビル内に小さな工場があり、
僕は短期間ですがそこの仕事を手伝ったことがありました。


そこの工場長はとても素敵な人でした。

70歳を超えていた方でした。
なんとシベリア抑留経験者だったのです。

「大変でしたか?」

と伺ったところ、

「わしは、ソロバンが出来たからなあ。
そんなに悪い扱いは受けなかったなあ」

とおっしゃっていました。


身長は低いですが背筋がシャット伸びた
優しくて奥深い感じの人でした。


その人のうちは商売をされていて
その人自身は3代目だったそうです。

「わしの代でつぶしてしまった」

とのことでした。


「ひできさん、人間というものは信じなくてはならない。
でも、人間を信じてはいけない」

と言っていました。

「禅問答みたいですね」
とその時答えたことを覚えています。

 

小さい会社ながら部署間の争いはありました。


ある人がメンバー表を作成して回覧していました。
当時手書きです。


「こうやってな人の名前をカタカタで書いたり
赤字で書くっていうんは失礼なんやで」

と教えてくれました。

書いた人は、自分が嫌いな人の名前だけ
カタカナで書いていたのです。
露骨ですよね。

 

その工場には打錠機という機械がありました。


粉を機械で打ちつけて錠剤にする器械です。

古い機械で、数分動かしていると
ネジが緩んで強度が落ちてしまうのです。


僕は、一日中、その機械の前に座って
たまに錠剤の強度を測定して、
強度が弱くなりそうだったら
強度を上げる、という作業を1日中していました。


最初の会社には1年いました。

病院に3か月出向し、
ドラッグストアに6か月出向し、
それ以外は主に工場だったので
3か月くらいいたのでしょうか。

打錠機だけではなかったですけどね。


仕事の合間に工場長の人柄に触れて救われていましたが
工場で機械をただ見つめている時間は強烈に苦痛でした。


同級生の多くは一部上場企業に就職して
きっちりと社会人としてのスキル研修を受けて
成長していっている、と考えると

自分だけがぼーっと機械を見つめているのが
たまらなかったのです。


ここを辞めた主原因は別にありますが、
またしばらく工場に入っていろ、
と命じられたこともあの会社を辞めた原因の一つでした。