脱サラしたひできの自己紹介 少年時代

自己紹介
公務員の父と専業主婦の母の間に第2子として僕は1973年に東京で生まれました。
2歳年上の姉がいます。
 
父はケチですが
特別貧乏でもお金持ちでもない
かつて日本の大多数を占めていた
中流家庭に育ったと思っています。
 
地元小岩の幼稚園、小学校、中学校に通いました。
成績はそこそこ良くってクラスのみんなと仲良しで
今でも同級生のお母さんに会うと良くしてもらえます。
 
学級委員長や生徒会の役員もしたことがありましたが、
家庭では自由な面もあり、高校に上がるころから
酒、タバコをたしなんでいましたが
怒られたことはありませんでした。
 
両親は親戚交えてよく喧嘩していましたし、
母からは父の愚痴を聞かされて育ちましたが
特にひどいいじめにあったというような
トラウマとして残るような経験はせずに少年時代を過ごしました。
 
ネット上では色々な人のプロフィールが見れますが、
こうやって改めて考えると自分は恵まれていたなあと思います。
 
中学校の推薦で筆記テストも面接も受けることなく高校に進学しました。
私立大学の附属高校でここも自由な環境でした。
 
校則は3つだけです。
タバコ禁止
喧嘩禁止
 
これがひどい状態になると退学ですが
それ以外は本当に自由でした。
 
バイトも出来ましたし、体育祭の途中で抜け出して帰っても
何も言われませんでした。
 
高校時代の友人とは今でもたまにあって一緒に酒を飲む仲です。
 
この高校にはギリギリの状態で合格したため
入学直後はいきなり落ちこぼれました。
 
人生で初めての落ちこぼれ状態だったのではないでしょうか。
でも、なぜだか、そんなに心配していなかったんですよね。
 
附属高校なので入学試験はなく大学に進学できるのですが、
高校3年間の中間・期末テストの結果の積み上げで、
上位の生徒から好きな学部が選べる、というシステムでした。
 
全体の8割が大学に進学出来て、6割が昼間の部、2割が夜間の学部への進学でした。
 
高1で落ちこぼれた僕は高2の時に勉強の仕方を変えました。
その後どんどん成績が伸びていき、高3の学部選択のころにはクラスでも
上位の成績をとれるようになっていました。
 
結果、一番人気の法学部に入ることが出来たのです。
この時の成績もギリギリで恐らく最下位での入学でした。
 
 
つづく